10年くらい前までは
自分のことが許せなかった。
なかなか許可が出せなかった。
心理学の長期講座や
カウンセラー養成講座に通いながら
セラピー受けてた時に
「ICU行き」って言われて
ホッとした体験があるくらい
許可を出すのが苦手やった。
自己啓発界隈で有名な
「自分のことを許せない自分を許します」
って言葉さえ
抵抗が大きくて言えなかった。
そんな10年前の私に教えてあげたい
目からウロコな気づき。
それが
「許す」の中にはジャッジがある
ってこと。
友達のコーチング中に
ふと気づいたんやけど
気づいた時は友達と二人で目が点に(笑)
その友達もカウンセラーをしているので
この発見の重大さに気づい
二人で「これヤバイな…!」って大興奮♡
今の私は
10年前に自分のことが許せなかった
感覚も思い出せないくらい
今は自分のことを許容しまくり♡
なーんにもしてなくても
思った通りにできなくても
全然オッケー♡
のあまあま状態。
「許す」にはジャッジがある
って気づいて振り返ってみたら
確かにこの状態になるまでに
「自分のこと許そう」
「許可が出せるようにしよう」
っていう実験はしてないんよね(/ω\)
それよりもひたすら自分の中にある
「ジャッジ」に気づいて
いらないジャッジは手放す
ってことはずっとやってた。
ジャッジを手放して
期待値を下げると
そもそも「許す」っていう概念がなくなる。
ex:役に立てない私
役に立つのがいいこと
役に立たないのは悪いこと
っていうジャッジや勝手な意見がある
ジャッジや意見を外すと残るのは
「役に立ってないかもしれないらしい」
↑これに対していいも悪いもないので
「以上。マル」で終わる(笑)
#役に立てない私で落ち込むということは
「役に立てるはず」という期待がある
#この自意識過剰な期待を
グンと下げてあげると楽になる可能性大(笑)
あの頃の自分のことを思い出すと
「自分を許せない」って
なんかちょっと謙虚そうな
感覚があったのと
自分で自分を許せないってことで
それ以上他人から責められないように
自分を守ってたのかな~
なんて思った。
数年前にこれが謙虚さどころか
傲慢さと自意識過剰さだと
気づいた時の恥ずかしさで
一気にジャッジと自分への期待値を
手放せたよね(笑)
#あくまで私の場合♡
自分に対して許せない
家族の誰かを許せない
あいつのことが
あの出来事が許せない!
って時は
許す許さないは一旦忘れて
自分の中にある「ジャッジ」を
見てみるだけで
感覚が変わっていく可能性
あるかもよ~♡
というシェアでした☆
とはいえ
自分の中にあるジャッジって
当たり前すぎてなかなか気づけない(≧▽≦)
そんな時は
コーチングをご利用ください♡
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って…めっちゃ上手に宣伝できた(笑)