子どもへの愛?それともコントロール?

動機について
質問してくれた方からの
感想がすごくわかりやすかったので
本日はそのシェアより☟

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例に例えてもらうとすごく分かりやすくてありがたい!
恐れから分けようとしてたけどその前の動機や気分を見るってことは

☆良い気分(♪、♡、〜したいな)の時に思いついた行動
→色々な恐れが出る
→GO!

☆嫌な気分(焦り、不安、〜しなきゃ)の時に思いついた行動
→色々な恐れが出る
→ストップ!

ってことやね!
確かに感覚派は動機より気分を見たほうがわかりやすいかも

こどもの事となると
「こども達のために◯◯してあげなきゃ!」となって
動機は“子ども達への愛”と勘違いして行動してしまうねん
でも、気分は不安だからストップやね!

④の自分を大事にしてるようで実はしてない例もめっちゃよかった!

あースッキリしたー!!
しーちゃんほんまにありがと〜!

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こちらこそわかりやすい
まとめのような感想をありがとう(≧▽≦)

「こども達のために○○してあげなきゃ!」

↑これ、こどもへの愛って
一般的にはそう言われてることも多いから
勘違いしちゃうよね~。

でもさ。

この動機をよく見ていくと

「まだ子どもやしできないこともあるから」
「なにか起きたら大変だから」
「困るといけないから」

=

欠乏感や不安や恐れ満点♡(笑)

残念ながら愛の動機じゃないんよねw

ここでいう「愛」って
よく言われる「愛情」とかの「愛」と
意味がちょっと違うんよね。

私たちの本来の状態というか…

ちょっとぶっとんだ話をすると

私たちはもともと素粒子だった。

(↑この1行をちゃんと説明しようとすると
 数十分かかるので割愛しますw)

で。

素粒子の性質としては

体験したい!
知りたい!
表現したい!
生み出したい!
与えたい!

っていう欲求をもっている。

どんな状況や状態にも
ジャッジがなくて
「全部知りたい♡体験したい♡」
っていう感覚。

これが「愛」のイメージ。

「こども達のために○○してあげなきゃ!」

には色んなジャッジやこうでなければ
っていう想いが入ってる。

子どもにツライ想いをさせたくない
困ったことが起きてほしくない
将来困らないように…

これは「愛」のようやけど

実は「コントロール」。

遊園地に遊びに行って

「観覧車は乗ってもいいけど
ジェットコースターはあかんよ!」

って言われたら…

つまんなくない?(笑)

で、言われれば言われるほど
ジェットコースター乗りたくならへん?(笑)

私なら

「自分で選んで好きに遊んでいいよ~♪」

「大丈夫♡」

「遊園地に来れたってことは
そのチカラがあるってことやから安心して♡」

って信じて見守ってもらえたら
めっちゃ嬉しい(≧▽≦)

なんて言いながら
ついついコントロールしちゃう
自分に気付いた時は

「そんな遊び方も可愛いやん♡」

って思ってるけど(笑)

(自分に甘い♡)

まぁ言っちゃえば
なんでもいいんやけどw

この仕組みに気付いて
実験やっていくと

悩みはなくなっちゃうよ~♡

っていうシェアでした☆

今日もゴキゲンな一日を(*^▽^*)

しずか

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